②自分の子育てを責め続けた日々
最近、嬉しかったことは3年ぶりに行った歯医者で「虫歯はありません」と言われたことです。
人生初の虫歯0に、ひゃっほーーーいとなりました。
この人生、何度歯痛で泣いたことか…
たかが虫歯されど虫歯…
本当に虫歯は怖いので定期的に歯医者へ行くことをおすすめします。
さて今回は、自分の子育てを攻め続けた日々についてお話ししたいと思います。
だんだん大きくなるにつれ自我が芽生えてきたりんちゃんは、気に入らないことがあったり、納得できないことがあるとパニックを起こし、30分以上大泣き大暴れでとても手がつけられませんでした。
細長い棒状の電車のおもちゃを振り回し、そのおもちゃが折れるまで叩きつけ、それでも暴れ足りないと私を叩き、髪を引っ張り、噛み付いてくる、そんな毎日でした。
言葉を理解できないりんちゃんを、言葉で叱り、それでもいうことを聞かないと大声で怒鳴り散らしていました。
それはそれはもう、怒鳴ってばかりのお母さんでした。
言うこと聞かないと怒鳴る、失敗すると怒鳴る、キャパオーバーになるとりんちゃんから逃げたくてトイレに隠れて泣いたこともありました。
それでも私を慕ってくれるりんちゃんの顔を見るたび胸が張り裂けそうになり、「私はダメなお母さんダメなお母さん」と自分を追い詰めていました。
言われてる本人は何も感じず反省することもなく、私の子育てって間違えてるのかな?とか、周りの人は私とりんちゃんを見て躾がなってないと冷たい目で見ているんだろうなぁ、とネガティブな考えばかりするようになりました。
あれだけ自信があった、“いいお母さん”になることは私には無理なんだなぁと、何か心がポキッと折れる感覚に襲われていました。
正直なところ、今も泣いて暴れることはあります。
ですが、ピークだった2〜3歳の頃と比べると暴れ方に変化が見られます。
何に怒っている、何に悲しんでいる、何に嫌だと感じている、ということがわかるようになったからです。
それは言葉の発達が大きく関わっているのだと思います。
2〜3歳の頃は、いわゆる宇宙語で何を話しているか全く理解できませんでした。
その代表が、
・「おっほわー」
・「あっからからからから」
・「うじゅっかいね〜」
です。
「おっほわー」は、お風呂で魚に見立てたタオルを水面へ着水させるときに言っていたので、水しぶきか、魚の声なのかなと思いながら聞いていました。
「あっからからからから」は、何か長い文を話したい時に使っているように見えました。
「あっからからからから」を通して私たちにもっと複雑なことを話していたのかもしれません。
問題は「うじゅっかいね〜」です。
未だに解読できていません。
テレビを見てても、楽しくても、悲しくても、「うじゅっかいね〜」と言っていました。
悔しいことにどんな気持ちの言葉なのかわからずじまいです。
そして、3歳後半からだんだんと話している内容を理解できるようになってきました。
幼稚園やデイサービス、療育に通い始めたのがよかったのかもしれません。
今となっては、口から産まれてきたのでは?と思うほどよくしゃべります。
本当に、よくしゃべります。
あの頃のりんちゃんは、こちらの話しは理解できても、自分の考えを思い通りに伝えられず辛かったんだと思います。
ですが、今にして思えば宇宙語だった頃もそれはそれでかわいかったんですよ。(親バカ)
そういえば、昨日嬉しいことがありました。
晩ご飯を食べていたりんちゃんがイスから降りて「うんちうんちうんちうんちターイム!」と言ってきたので(こんなうんち宣言は初めてでした)、「はるちゃんにおっぱいあげてるから、お兄さんパンツからオムツに履き替えて!」とお願いすると「オムツはゆっくり履かないと破れちゃうんだよね!あ、ちょっと急いで履いちゃった!まぁ、いっかー!」と言いながらオムツ履き替えていました。
“お願いした内容を理解し、行動に移す”
簡単なことですが、できるようなるまでの道のりが長く険しかったので、たったそれだけのことが本当に嬉しく思えるのです。
会話をすることでりんちゃんの考えてを知ることができるようになり、何かあった時はまずりんちゃんの話を聞くようにしています。
りんちゃんの話を聞くことで「そんな風に思っていたんだね」と私自身も整理できるようになり、怒鳴ることも0ではないですが、ほぼないです。
りんちゃんと会話が成り立つようになったのは、我が家にとって大きな大きな一歩となったのでした。